弊社鳥居家は代々屋号を「右源太」と名乗り、貴船神社の社家を努めてきました。
貴船神社は今から千六百年前に玉衣姫という女神によって創建され、名神大社という最も高い格式に列し、
全国に五百の末社を擁す日本水神の総本宮として崇敬を集めました。
しかし、平安時代には上賀茂の侵略を受け、上賀茂神社の摂社として扱われてしまいます。
寛永十二年、貴船は上賀茂を相手取って訴訟を起こしましたが、寛文・元文・宝暦年間に下された判決で敗訴し、
右源太を含む貴船社家代表の三名は加茂の河原で自刃しました。
明治4年になると新政府の「寺社没収」で貴船の地も政府に没収され、貴船神社も京都府直営となります。 七百年に及ぶ上賀茂との摂社関係も終わり、貴船神社は独立を取り戻すことが出来ました。
でもそれに伴い、貴船の社家は神職の道を閉ざされてしまいます。
社家の職を失した右源太は持山の木材や木炭を売り、山林業を生業として暮らしました。
そして90年後の昭和37年、私の母が飯屋と宿屋を始めます。
それが現在の料理旅館「右源太」の興りです。
当代 鳥居 右源太 宏行