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店主コラム

2007年 10月 3日

「ジョージ・ナカシマとイサム・ノグチ」

先日、14年ぶりに、高松の桜製作所(ジョージ・ナカシマの日本における工房)とイサム・ノグチのアトリエ(現在は庭園美術館)に行きました。

今から14年前 ('93) の事ですが、故ナカシマ('90年没)の回顧展が大丸梅田店で開催されました。
当時、立ち上げ準備中だった貴船ギャラリーで、ジョージ・ナカシマの作品を扱いたいと願っていた私は、ナカシマのご遺族が来日されると聞いて、是非お会いしたいと思い訪ねました。ノーアポで行ったため、梅田ではすれ違いになってしまいましたが、大丸の担当者が連絡して下さり、翌日、高松の桜製作所でお会いすることができ、それがきっかけで作品を扱う事ができるようになりました。半日の滞在でしたが、アメリカPA州のニューホープにある工房を訊ねる事を約束して帰路につきました。
その後何日か経って桜製作所を再訪した後、イサム・ノグチのアトリエに行きました。ここはノグチが、環境そのものが、芸術のインスピレーションの源泉になること願って製作した、全体がひとつの大きな「地球彫刻」となっています。
もとは丸亀にあった商家を移築したイサム家の居間の、障子べりの一段下がった所に、ナカシマを思わせる木のテーブルがありました。卓上に、グラスの輪染みを二つ三つ見つけて、ノグチの魂がそこにあるような気がして、とても嬉しかった事を覚えています。

貴船ギャラリーのナカシマ作品

'93年
貴船ギャラリーのナカシマ作品 (ベンチ・コーヒーテーブル、ダイニングセット)とイサムの“あかり”

今回、高松を訪れる事になったのは、知人から、讃岐うどんツアーのお誘いがあったからで、その前日は東京に居ました。(去る6月のコラムでご紹介した、二コルさんを描く鶴太郎さんの写真を撮った日)その日鶴太郎さんは、仕事で四国から帰ったばかりだと仰っていました。あの後、夜中までご一緒させていただいた私は、渋谷区松濤からタクシーで羽田へ向かい、翌朝、高松行きの便に乗りました。
 空港に出迎えて下さったのは、地元で飲食店を多数経営されている方でした。参加者は、案内役を買って出て下さった飲食店オーナー、建築家、華道家、店舗プロデューサー、某有名企業社長秘書の方々と私の計6人でした。
 讃岐うどんには以前から興味があって、今回の企画ももちろん楽しみにしていました。4件ハシゴして、満腹になったところで、連れていってもらった所が、桜製作所と、イサム・ノグチのアトリエだったのです。

予期せずの再訪でした。14年前、緊張して訪れた時とちっとも変っていませんでした。桜製作所の会長も、庭園美術館の館長も、いまだお元気で活躍されていました。
そして、やっぱり、あの輪染みもそのまま残っていました!
その時、館長が仰るには、高松県庁ビルに展示されているノグチの彫刻が、他の場所に移設されようとしているとの事。県庁ビルを設計したのは同行の建築家です。「ノグチの彫刻は、あそこに置くようにと設計したのだから、それは困る!」館長も「県の為に、破格でお譲りした物なのに!」全員で「それはアカン!」ということで、県に働きかけることになりました。阻止できるといいのですが・・・

その日の夕食は、案内役を買って出て下さった方のお店でイタリアンを頂きました。大正時代に建てられた、お茶室もある古い民家を改装した、高松でも話題のお店でした。食事中、お店の人から、「昨日、鶴太郎さんが来られました」と聞いてびっくり!

二次会のシガーバーのカウンターで、14年前の事を思い出して、感謝の気持ちで一杯になりました。04年には念願の、宿泊客室「ナカシマとノグチの部屋」を作ることができたのも、突然訪問した私に温かく応対して下さった、ナカシマのご遺族と桜製作所の皆様、ノグチの居間を見せて下さった館長、大丸の担当者様のおかげです。それと、讃岐うどんツアーに誘って下さった皆さん、ありがとうございました。

右源太宿泊室(洋室)のナカシマ作品

'04年
右源太宿泊室(洋室)のナカシマ作品 (ベンチ・コーヒーテーブル、ダイニングセット、キャビネット)とイサムの“あかり”

右源太宿泊室(和室)のナカシマ作品

'04年
右源太宿泊室(和室)のナカシマ作品 (ラウンジチェア・サイドテーブル、キャビネット)とイサムの“あかり”

ナカシマとノグチのアトリエに再訪できたのも、彫刻移設の事を建築家が知る事ができたのも、鶴太郎さんの事も、ありがたいし、また、偶然ってあるもんやな~と思って飲んでいると、桜の社長が、「今日(5月24日)はナカシマの誕生日なんや・・・」と教えてくれました。

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