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店主コラム

2007年 1月 5日

「正月のお茶」

我が家の新春の茶室

我が家の新春の茶室(師匠を真似て、大福茶の準備です。)

正月のお茶と言えば、1月13日頃から始まる初釜を思い浮かべますが、私の茶の師匠が出仕する家元では、除夜から新年にかけて、年越しのための古い習わしが連綿と続けられています。
これは家元のご家族と内弟子のみで執り行われるものなので、我々一般の稽古人は見る事ができません。
今回は内弟子である師匠から聞かされた、家元における暮れから元旦にかけての情景をご紹介させていただこうと思います。

京都の各家でも行われているように、家元でも歳徳神をまつり、各所に鏡餅を供えて新年を迎える準備をされます。そして、除夜に釜を懸けることで、一年の行事がすべて終わります。
内弟子はここで年越し蕎麦をいただいて、一年間のお礼と良いお年を…の挨拶をして帰路につきます。
しかし内弟子のなかには、この除夜にも炉の火を絶やすことなく、翌年に送り続けるという大切な役目をもった人がいます。
夕方に懸けた釜の火を夜中に埋み火にして、火を守ってゆくのです。

元旦の早暁、家元と内弟子は新年の挨拶を交わします。
暮れの挨拶をしてから数時間しか経っていないのですが、年が変わるということで、随分と時間が経ったような錯覚を覚えるそうです。
身を切る寒さの中、暮れにした埋み火を掻き起こして新しく炭を加え、若宗匠が早暁に汲まれた若水を釜に注ぎ足して、お湯も若返らせ、新鮮な気分で大福茶の準備が進められます。
京都の各家の大福茶は、一年間の無病息災を祈る為に行われますが、この時、家元では特別な掛物を用います。それは、家元の祖先が時の権力者より切腹を命じられ自刃された後、島流しにされていた後継者に届けられた、お家再興の赦免状を軸飾りしたものです。
家元家族と内弟子一同は、この掛物を拝見して、遠い先師をしのび、お家の今日ある事を祝い、その年の精進の誓いを新たにされるのです。
ここまでは内部の行事として、総門を閉ざし、雨戸も開けずにまったくの内輪だけで行われます。
大福茶が終わると総門が開かれ、一般の方からの年始の挨拶を受けられます。
まず最初に分家の家元家族がお見えになり、その後、職家の一統が慶祝の挨拶に来られます。
そして、1月の中頃から、稽古人・家元の知人・さらには政財界や官界の方々もお招きしての、一般の稽古初め(初釜)が2週間程続きます。
さすがに永い伝統のある家の新春ですね。

花と花入れ

花と花入れ《青竹尺八切花入に曙椿と結び柳》 結び柳は中国の故事にならったもので、送別の宴の善の上に柳の小枝を結んで置いておけば、その人は必ず戻ってくる、という言い伝えから、再び正月が戻ってくる、一陽来復を祝う心を表しています。

有栖川宮熾仁親王筆

《有栖川宮熾仁親王(有栖川宮家第九代・明治維新政府の総裁)》筆
「佐し乃本る月ハ 尾上濃松者良も 屋可て婦も登尓 散してこ所 良免」
《さしのぼる月は尾上の松原をやさしく照らし、やがては山のふもとまで照らして欲しい。 (月の光で世の中全ても照らし、明るくして欲しい…の意)》

茶の習いとは、師匠の真似をして身につける物である…とは私の師の教えです。
そこで、我が家の茶の正月をいかに迎えるか(真似るか)ということを考えますが、家元のような掛物があるはずもないし…
とにかく、元日には、家にあるもので道具組みをして、家族、従業員を集めて大福茶をしてみようと思います。
これを書いているのは大晦日の22時30分。そろそろ埋み火の準備にかからなくては…

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