frame-left
frame-right

店主コラム

2006年 11月 10日

「仏人を招いて」

先日、「日本料理アカデミー」の活動の一環として、フランスの若手シェフとメートル、ジャーナリスト等を招いての茶事があり、そのお手伝いをさせていただく機会がありました。
私の役割は亭主(私の師匠と同門の著名な茶道の先生)の補佐役で、料理や酒、菓子等を運ぶだけなのですが、しかし実のところ、私はこのフランス人相手の茶事の事をとても心配していました。
茶事となれば4時間位かかるのに、座っていられるのか?…
懐石の作法が窮屈なのでは?…
濃茶など飲めるのだろうか?…
ディズニーランドやハロウィンでさえ受け入れようとしないお国柄の人達に、茶事が理解してもらえるのだろうか?…
「茶の湯なんて大したことない…」なんて絶対に思われたくない!
私が気負ってもしかたが無いのですが、フランス人の反応が気になってしょうがありませんでした。
席入りしても、やはり畳敷きに直接座る事は苦痛に感じるのでしょう。
あぐらも上手くかけずに、体育座りしてみたり、もぞもぞと落ち着かない様子。
褒め言葉も笑顔も“社交辞令”と感じてしまいます。
でもさすがに、フランスではもちろん、世界的に活躍している面々なので、モチベーションは高く、茶事が始まったとたん、「茶の湯とは何か」を捉えようと亭主を質問攻めにしてきました。
私はフランス人から「茶の湯がどれほどのもんか見極めてやるで!」というオーラを感じていました。
こちらも必死で、作り笑顔の奥から「茶の湯はディズニーランドとは違うんやで!」という雰囲気を出していたのかも知れません。
途中、彼らが、この場所は亭主の自宅兼稽古場であることを知って、空気が変わりました。
仏人達は「日本人の家庭に招かれているんだ!」という気持ちになって、さらに、亭主自らが御膳を運び、お酒の給仕までされる姿を見て、「心からもてなされてる!」と感じたようでした。
その時から、もてなす側と、もてなされる側で気持ちが通じ始めました。
私は以前、茶の師匠から、「欧米では、その家庭で、家族団欒の中、手作りでの接待が最高のもてなしである。」という話を聞いた事があります。
茶の湯では、部分的には手伝い人や職人に依頼する所はあったとしても、全て亭主の指図で作られます。何もかもが亭主手作りのもてなしといえるでしょう。
フランスと日本では、姿形は違えども、おもてなしの心と誠意では通じるものがあるのだと思いました。
今回の茶事のおかげで、師匠に教えられた「茶の湯は、暮らしのなかに美を具現しようとする文化である」という言葉の意味が、実感としてわかったような気がしました。

過去のコラム